貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
2-(2) 貞山運河の名称と延長
1.名称の経緯
① 開削当初の名称は、木曳堀(こびきぼり)、御舟入堀(おふないりぼり)、新堀(しんぼり)であった。
② 第二の名称である「貞山堀」は、明治16年~23年の堀改修事業の際に、伊達政宗の偉業を後世に伝えようと考えた当時の県の職員
(土木課長早川智寛)よって名付けられたと言われている。 ※貞山」とは伊達政宗のおくり名。
③ 第三の名称の「貞山運河」は、明治22年運河取締規則の中で「運河と称するは、野蒜東名及び貞山の各運河を云う」となり、「貞
山堀」が「貞山運河」に改称された。 ※野蒜東名:野蒜(北上運河)と東名(東名運河)のこと。
2.延長
貞山運河の長さについては、いろいろなとらえ方がある。その違いについて、『貞山・北上運河沿革考』(遠藤剛人著)の中では、次のように述べられている。
「運河の延長は牛生浦の澪筋をどの程度入れるか、阿武隈、七北田の高水敷開水路を含めるや否や、広浦、名取、七北田川の横過部分をどうするかなどによって異なる。」
一方、『貞山・北上・東名運河事典』で掲載しているこれら運河群の総延長 46.4kmは、阿武隈川との接点から塩釜湾、松島湾との接点から旧北上川との合流点までを概括的にとらえた開削総延長49㎞から仙台港関連2.6㎞を減じた長さとしている。
これは、『平成6年度 歴史のかおる運河整備計画編集委託報告書』 (平成7年3月 宮城県土木部河川課)によったものである。
この報告書の中で、貞山運河(木曳堀・新堀・御舟入堀)については次のように整理している。なお、どちらの説の数値を採用しても、国内最長であることには変わりがない。
●貞山運河
阿武隈川~名取川間 木曳堀 延長 15.0km
名取川~七北田川間 新堀 延長 9.5km
七北田川~松島湾間 御舟入堀 延長 7.0km
計 31.5km
(ただし、仙台新港の港湾用地等に変換され、現在の延長は28.9kmとなっている。)
※ 『貞山・北上運河沿革考』では、往時で33km(現存 27.7km)としている。
【関連資料】
『貞山・北上運河沿革考』(遠藤剛人 著)では次のように記述されているので、関連部分を抜粋し、そのまま紹介します。
<位 置・名 称>
貞山運河とは阿武隈川左岸、岩沼市寺島納屋から海岸線〇・五粁沿いに北上し、名取・七北田川を横過し、塩釜湾牛生浦に通ずる運河である。往時は延長三三粁(註1)に及び、本邦有数の長さを誇る運河であったが、現在では中間の一部が港湾区域や港湾背後地となり、延長二七・七粁となっている。
運河開削の歴史は古く、慶長の初期に始まり全川通水は明治五年(註2)で、開通まで二七〇〜八〇年の歳月を要した。運河の名称である「貞山」とは、仙台藩祖伊達政宗の法号「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」から、明治一三〜一四年頃昔時の県土木課長早川智寛が命名したものである。
沿岸市町は岩沼・名取・仙台・多賀城・七ヶ浜・塩釜の六市町にわたる。
河川法上は、旧河川法では昭和四年準用河川に認定され、新河川法によっては四〇年二級河川に、四一年には納屋深沼間が一級河川に指定されている。港湾法上は大代牛生問が塩釜港の港域として認定されている。
註1 運河の延長は牛生浦の澪筋をどの程度入れるか、阿武隈、七北田の高水敷開水
路を含めるや否や、広浦、名取、七北田川の横過部分をどうするかなどによ
って 異なる。このため文献によっては相当の差がでる。『貞山堀改修出来形
帳』によれば、一八、五八九間余(三三・八粁)、ただしこの出来形帳の区間
毎を合すれば、一九、一五一間余(三四・八粁)となる。『明治十五年宮城縣
統計書』によれば通舟区間として九里一八町(三七・三粁)とあり、『「第七
回縣治一斑』では八里二一町(三三・八粁)とある。昭和一〇年の『河川区域
表』では七里三四丁(三一・二粁)、ここでは県河川課の資料から牛生浦の澪
筋をいれて三三粁とした。
2 中部水路の藤塚南蒲生間の開削は後に述べるように明治三〜八年であるが、通
水したのは明治五年である。
出典:『貞山・北上運河沿革考』 遠藤剛人 著 P132~1
※補記:開削年代には諸説ある。別稿を参照。