貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
▲開成丸下海図 ※仙台市博物館蔵
■開成丸の概要
・船名由来 『易経』(周易繫けい辞上伝)の中の「開物成務」にちなんで命名。
・造艦費用 2万3千両 *『幕末の鬼才 三浦乾也』による。
江木鰐水日記(安政6年4月8日)には「費金及五萬両」と記されている。
・帆装型式 トップスル・スクーナー型
フォアマストにコース、トップスル、ガフを、メインマストにはトップスルとガフを張る。
バウスプリットにはジブ・ブームを取り付けてジブを2枚張る。大筒12門、ボート2艇を搭載。
・概 要
■開成丸年表
安政三年(1856)
一月二八日 造艦の下命が出る、三浦乾也惣棟梁になる
八月二六日 造艦着工(「手斧建之礼」が挙行)
安政四年(1857)
六月二八日 進水式(このときに「開成丸」と命名)
十二月一日 第一次試航海(石浜まで航行) *書開成船図後
安政五年(1858)
一月十七日~二五日 第二次試航海(開成丸乗船景況書)
(17日乗船~18日風悪碇泊~19日石浜出帆・亘理花釜沖碇泊~20日同所出帆・宇田釣師浜沖・
名取北釜沖碇泊~21日同所出帆・遠島福貴浦前碇泊~22日・23日風悪く同所留船~24日同所出帆・宮
戸沖碇泊~25日同所出帆・石浜帰帆)
二月晦日~三月一日 第三次試航海(市博研究報告)
五月十一日 三浦乾也、御作事奉行格にとりたてられ、大番士となる
七月三日~六日 第四次試航海
(守屋豊治、佐藤良之進、佐伯彦三郎、砂沢安治、橋本清太夫、森田九平)
十二月二五日~一月七日 第五次試航海(寒風沢~石巻~牡鹿半島~金華山~気仙沼方面~閖上~寒風沢) 行程78里余
安政六年(1859)
一月 八日 今曉七時に開成丸石濱湊入御船本吉郡松湯村より越年之由(安政六年日記)
一月十六日 開成丸今一小調練
一月十九日 開成丸調練に出航
二月十二日 開成丸、寒風沢を出立(開成丸航海図*1を参照)
村田善次郎、古山誠之丞、佐藤良之進、森田九平、大槻禮助、加藤常之助、佐藤新之丞、
手戸玄吉、茂庭与七郎家中謙治倅小野寺常治、地理方書記役 茂庭与七郎家中 小野寺謙治
二月十三日 小濱沖
二月十四日 四ツ倉沖
二月十五日 犬吠岬沖、御宿沖、奥津湊沖
二月十六日 州崎沖
二月十七日 浦賀入港
三月 岡千仭、江戸で開成丸を見る(鹿門岡千仭の生涯)
四月 八日 品川海に入る(江木鰐水日記)
四月二一日 寒風沢へ戻る
八月二三日 塩釜
九月 五日 寒風沢
万延元年(1860)
※ 以下、『ふなわたり日記』(万延元年(1860)九月八日~万延二年(1861)三月七日)から。
この年、三浦乾也は暇乞いを願い出て仙台を辞している。
十二月 七日 寒風沢出帆
十二月十二日 伊豆下田に着
十二月十三日 荷物の検査を受ける
十二月二一日 浦賀入港
万延二年(1861)
一月 六日 開成丸に塩を積み込む
一月 十日 浦賀から江戸海へ。金沢と本牧の間に碇泊
一月十一日 本牧沖
一月十二日 羽根田沖
一月十三日 品川沖
一月十六日 村田善次郎(明哲)、江戸の三浦陶蔵を訪れる
二月 三日 浦賀港を出帆
二月 九日 上総奥津
二月十三日 太東岬(上総)
二月十四日 上総奥津に戻る(風待ち)
二月二五日 奥津を出る
二月二六日 下総永江
二月二八日 相馬領小濱沖
二月三十日 相馬領塚原沖
三月 一日 水戸領平潟沖
三月 四日 岩城領木戸浜沖
三月 六日 岩城領木戸浜沖
三月 七日 寒風沢入港
文久元年(1861) 開成丸消失
(注)江戸への航海途中で座礁したとも、石巻で解体されたとも伝えられている。
慶応元年(1865)
十二月 三浦乾也、「改易」を申し渡される
<参考資料>
開成丸航海日誌 小野寺鳳谷著 仙台叢書第十八巻 伊達秘鑑下 宮城県図書館
書開成船図後 小野寺鳳谷著 仙台叢書第八巻「東藩野乗巻之下」 宮城県図書館
改正東海舟程全図 宮城県図書館
開成丸航路図(安政六年(1859)) 測量:村田明哲ほか 神戸大学海事博物館
在臆話記 岡千仭著 随筆百花苑第一巻 宮城県図書館
鹿門岡千仭の生涯 宇野量介著 発行者(昭和50年12月):岡 広 宮城県図書館
江木鰐水日記 大日本古記録『江木鰐水日記上』 宮城県図書館
編纂者:東京大学史料編纂所 昭和29年3月20日第一刷発行
ふなわたり日記(文久元年(1861)) 村田明哲 仙台市図書館
開成丸の造艦 仙台市史 通史編5 近世3(平成16年3月31日発行)
開成丸乗船景況書(安政5年(1858)) 仙台市史 資料編2 近世Ⅰ(平成16年3月31日発行)
幕末の仙台藩軍艦開成丸 公益財団法人慶長遣欧使節船協会
洋式帆船開成丸について-仙台市博物館調査研究報告第14号 平成5年度 仙台市博物館
幕末の鬼才三浦乾也 益井邦夫著 里文出版(平成4年5月25日発行)