貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
9-(1)-② 住吉神社と縄張神社
<住吉神社> 所在地:宮城県石巻市住吉町1-3-1
住吉神社は延喜式神名帳に名を連ねる式内社で、正式には大島(大嶋)神社。住吉地区にあるので古来この通称がある。
芭蕉と曽良は、元禄2年(1689年)5月10 日(新暦6月26日)、石巻に着いた当日に住吉公園内のこの神社に参詣している。
境内には、北上川の方向に向けて建てられた『川村孫兵衛紀功碑』がある。
御祭神:底筒男神、中筒男神、表筒男神、素盞嗚尊
境内社:八幡神社、お蔵稲荷、天満宮、虚空蔵尊
▲住吉神社
▲川村孫兵衛紀功碑
川村孫兵衛紀功碑
正四位伯爵伊達宗基篆額
嗚呼甚哉水之為利害也害則洪水氾濫利則舟楫漑●故能治水者抑其害而収其利烏神禹以下皆然近時角倉了以父子河村瑞賢其顯著者也我
藩能治水而抑其害収其利者以孫兵衛川村君為第一矣君之功績二百餘年之後徃往存于世人之口碑而不泯滅焉亦可以知其功績之大也今茲
明治卅年丁酉當君之二百五十季忌辰志士胥謀欲刻一碑以表章其遺烈可謂一大美擧矣謁文于余余素不嫺文辭何以得應其請腅衆請不可辞聊叙余之所聞以塞其責君諱重吉通稱孫兵衛長門人事我 貞義二公為人忠而不諛勤而不倦最精美數長治水或煮海作鹽或鑄山為金或引填閼漑舃鹵或墾荒無令肥美畢生從事于富國利民之業其所畫策指不遑僂也而其最大者察北神川水勢之所趨新穿一渠以開石巻港是也盖北神川發源於巌手西鄙岩鷲山蜿蜒數十百里傍近諸水盡皆會湊貫流于我封内謄澤東西岩井登米栗原桃生諸郡至追波達于海實為邦内之鉅川故有時衝蕩漬決敗壊邑里揜没田廬沿岸之民被其害也最大矣君察其如此新穿桃生郡鹿又引之牡鹿石巻爾後除衍溢氾濫之害開一大良港舟楫之利魚塩之富於是乎盛也其功真可謂韙矣初君之将起工時攀沿岸喬木熟察其水勢之所趨向亘三年之久其苦心焦慮洵有乘四戴過家不入門之概丗人今猶稱其樹曰川村觀物松乃今作短歌歌以祭其靈歌曰
神禹以後唯有公 志身濟物不世功 觀物松兮欝欝翠 千歳使人欽英風
明治三十年十月 松倉恂撰 佐佐木舜永書 石井貞輔刻
(注)●・・・さんずいに侵
▲住吉公園